アルゼンチンの息吹
2.労働者の自主管理で病院を最建
藤井枝里

破産病院の自主管理で、地域医療の拠点に

川沿いの道から少し入ったところにある、清潔感の漂う白と薄緑色の建物。それが、サルー・フニン協同組合の病院です。ここは、40年以上の間、私立フニン病院として、コルドバの人々の健康を支えてきました。
 ところが、前回レポートした通り、2001年の経済危機の波は、多くの工場や会社を廃業に追い込み、人々の生死に直接関わる病院をも容赦なく呑み込んだのです。
 
今回は、そうした困難のなかから立ち上がった、サルー・フニン協同組合の歩みを紹介します。

会社回復運動とは?

サルー・フニン協同組合は、コルドバにおける会社回復運動の中心的な存在です。会社回復運動とは、破産したり放棄されたりした会社を労働者が取り戻し、雇い主や支配人のいない、自主管理に基づいた労働を目指す運動です。
 労働者たちは、立ち退きの要求に対抗し、時には仕事場を占拠して操業を続け、裁判に訴え会社の占有を獲得し、仕事を守ります。その何年にも渡る長い道のりのなかで、新自由主義が切断していった人と人との結びつきが、再び繋ぎ合わされていくのです。
 
ここアルゼンチンでは、この試みが始まったのは、80年代半ばと言われています。しかし、90年代を通して、実例は多くなく、社会的な認知もあまりされていなかったようです。
 しかし、特に経済危機以降、金属類・繊維・陶磁器などの工場を始め、学校から病院に至るまで、様々な分野の会社が回復され始め、労働者同士の連帯、他の社会運動や地域住民との連帯が、注目を集めるようになりました。
 現在、回復された会社は、アルゼンチン全体で200近くあり、合わせて約1万人の人々が働いていると言われています。

健康は、お金との交換物じゃない

フニン病院を明け渡す計画は、すでに98年から始まっていました。そして、経済危機と時期の重なる2001年末、それまでの経営者が病院を手放したため、新たな経営者がやってきました。それに伴って、滞っていた給料が支払われることもなしに、大規模なリストラが断行されました。2002年5月時点で、11ヶ月分もの賃金が未払い状態でした。
 そこで、まず42人が仕事を守るためにストライキに入ることを決め、病院を占拠し、協同組合を設立したのです。そして、元経営者から立ち退きを求める脅しが続くなか、法的には「違法」という形で診療を再開し、仮の占有という不安定な条件の下で運営が続けられました。
 
彼らは、デモや集会で地域の人々に連帯を呼びかけ、時には学生の支持を得るため、授業中に時間をもらって現状を説明しました。また、同じような状況にある会社や工場と連帯し、議会に法的な解決を求め…と、その他できる限りのあらゆる手段を取ってきたといいます。
 そして、5年目を迎える現在、専門職と一般職を合わせて約80人が働いており、月に約4,500人もの患者が訪れるそうです。
 
事務のエステバンさんは話してくれました。
 「健康は、お金との交換物として、手に入れるものじゃない。それは、すべての人がもっている、ひとつの権利なんだと私たちは考えている。誰もが手の届くコストで、質の良い医療を受けられることを目指している。」
 このことは、実際の診療費を見れば、明らかです。一般の病院が30~40ペソ(1200~1600円)請求する診療を、ここでは15ペソ(600円)で提供しているのです。さらに、貧しいコミュニティの食堂などに出かけて、子どもたちを無償で診察するなど、フニン病院の果たす社会的役割が、地域の人々、とりわけ貧困層の人々の健康を支えているのです。

完全同一賃金で全員参加
──道に放り出されたときの平等を忘れない

フニン病院は、徹底した平等主義に基づいています。病院には、医師や看護師はもちろんのこと、事務や清掃に携わる人もいます。ところが、ここでは、その手に持つものがカルテであってもモップであっても、全員がまったく同じ給料を受け取っているのです。休暇も、皆等しく取ることができるそうです。
 「誰も信じようとはしないけどね。」とエステバンさんは、笑って言いました。
 
また、月に1度、全員の参加する集会が開かれており、物事を決定する際には各自同じ重みの1票を有します。
 「伝統的な協同組合では、決定権は3、4人の重役にある。投票では、労働者が1票なのに彼らは2票。しかも、集会は年に1回だ。そういうこれまでの協同組合との違いは、私たちのそれは、社会運動から生まれたということだ。」
 「経営者が私たちを解雇したとき、道に放り出された私たちは、何も持っていなかった。みんな完全に平等だった。このときの平等を、忘れちゃいけないんだ。」
彼のこの言葉に、会社回復運動の原点が見えてくる気がしました。
 
さらに、強調しておきたいのは、会社を回復するプロセスが、それぞれの潜在能力を引き出す可能性を持っているということです。
 「たとえば、受付にいる彼女は、15年間も病院を掃除し続けていた。ところが、いまでは受付事務の担当だ。この運動は、人間的な成長の場でもあるんだ。」
と、彼はその意義を語ってくれました。

2年間の占有を勝ち取る──新たな闘いの始まり

そして、つい最近の5月初め、コルドバの立法議会において、会社の占有に関する法律が変更され、サルー・フニン協同組合は、2年間という期限付きで病院の占有を勝ち取りました。これは、確かに大きな前進ではありますが、完全に協同組合の権利が認められたわけではありません。
 
「私たちは闘い続ける。すべての人々に健康を届けるため、人々に連帯を呼びかける。」
 こうエステバンさんが言うように、彼らにとって、この2年は、新たな闘いの始まりなのです。
 
*初出は、『人民新聞』2007.5.25(第1279号)。ただし、ウェブでの再録にあたって、『人民新聞』発表時より、一部を改訂・変更しています。

藤井枝里(ふじい・えり)

上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業。2008年8月より、FLACSO-Argentina(ラテンアメリカ社会科学大学院・アルゼンチン)社会・政治人類学修士課程。






回復工場労働者の集会で発言するエステバンさん。


2005年、ベネズエラのカラカスで開催された、回復工場のラテンアメリカ集会のポスター。


病院の待合室に掲げられた協同組合のスローガン「健康と労働を守る」