アルゼンチンの息吹
5.不平等に抵抗する変革の手段「ピケテーロス」
藤井枝里
「ピケテロース」をめぐる様々な評価
日本で、「ピケテーロス」という言葉が聞かれるようになったのは、やっと最近のことではないでしょうか。それでも、ざっと見渡すだけで、様々な評価がなされていることが分かります。
一方では、政府から補助金をゆする左派系旧過激派であり、ピケテーロスが行なう道路封鎖による一般市民への経済的損失は計り知れない、という否定的な見解があります。他方では、既存の政治経済システムの外における意思決定回路として、ピケテーロスの意義と可能性を認める見解があります。
それらの見解に共通して言えることは、すでに2001年の民衆蜂起から6年が経ち、好調な経済成長と反比例する形で、ピケテーロスは、すっかり衰退傾向にあるという見方でしょうか。特に、政府が始めた補助金支給プランをめぐって、ピケテーロスの内部分裂・セクト化が進み、政党とのクライアンティリズム(恩顧主義)に陥っているといった指摘がよくなされています。
必要に迫られて生まれた抵抗の手段
しかし、こうした評価はどれも正しいにしても、あくまでそれが言い当てているのは、ピケテーロスの全体像の一側面でしかないように思います。
一般に、ピケテーロ運動とは、主要幹線道路の封鎖という直接的な抗議手段によって、政府に補助金や仕事を要求する失業者運動であるとされています。語源的には、ピケットを意味するピケーテという名詞から派生した、ピケを張る人という意味です。
ところが、これだけでは、なぜ注目に値する社会運動なのかよく分かりません。そもそも、補助金要求という目的は、一時的な貧困緩和に役立つにしても、長期的な目で見れば非生産的と言わざるを得ず、結局、政府への依存度を高めるだけではないか、という批判を免れることができません。
そこで、以前、水の民営化撤回集会で知り合った、労働者党のマリオに話を聞きに行きました。曰く、
「いまでは、ピケテーロスの概念は拡大していて、この人がピケテーロだ、というふうに呼べる人はいない。ピケテーロスとは、教師、学生、労働者、失業者、病人、芸術家、哲学者…以下延々と続くあらゆる人々であり、不平等に抵抗する僕らすべてのことなんだ。」
つまり、政府からせびった補助金で暮らす、ピケテーロスと呼ばれる集団が存在しているのではありません。多様な社会的アクターが用いる権力側への抗議手段のひとつ、社会変革の道具のひとつとして捉えるべきだということです。
「ピケテーロ運動は、家族を飢え死にさせないために、必要に迫られて生まれた運動であり、いま必要なのは、その実践の中に理論を取り入れていくことだ」
と彼は言います。
「大切なのは、人間性・平等・平和という大原則に立つことだ。資本家もブルジョアも存在しない、新しい社会をつくるために。」
「人間らしく生きる権利のほうがよっぽど大切だ」
ここで注目すべきは、彼らの言う新たな“Poder
”
(力/権力)という概念です。「アルゼンチン・ソーシャルワーク学生連合」(FAETS)の全国会議に参加していた、「ダリオ・サンティジャン人民戦線」のフェデリコによると、それは“Poder Popular
”
(民衆力)という言葉で表されます。
つまりそれは、階級闘争によって奪取できる「権力」ではなく、「~できる」と訳される「力」であり、現実を変えていく日常的な取り組み、そこで構築される社会的関係としての「力」です。よって、彼らが「政治」という言葉を口にするとき、それは権力による人民の支配を意味するのではなく、また、労働者階級が現在の支配階級に取って代わることが言われているのでもありません。
それは、新たな価値観と実践を通して社会を変革することが目指されているのです。
ピケテーロ運動における、道路封鎖という手段について、フェデリコはこう評価します。
「道路というのは、資本主義における商品流通回路であって、それを切断するということ自体が、歴史的な要求なんだ。市民には道路を通行する権利があるというのなら、僕はこう言おう。人間らしく生きる権利のほうが、よっぽど基本的な権利じゃないか。」
今も各地でいくつもの道路が埋め尽くされている
ピケテーロ運動と呼ばれるものに、様々な立場の組織が存在するのは事実です。より政府に近く、補助金を優先的に受けているとされる「土地住居連合」などのグループ、あるいは「ポーロ・オブレーロ」のような労働者党のもとにある組織、人民の手による暴力は正義であるとして肯定する「ケブラーチョ」、また「ダリオ・サンティジャン人民戦線」のように政治的自律性を重視する組織…。しかし、これらをピケテーロスの「分裂」と捉えることは、正しいのでしょうか?
私がこれを書いている今も、各地で人々が集まり、いくつもの道路が埋めつくされています。労働者によって再建され自主管理をしていた五つ星ホテル「バウエン」への立ち退き命令に反対して集まっている人々、ある元役人による暴力行為に対して立ち上がった人々…。確信を持って私が感じたのは、このような人々が「民衆力」を築いていくのだということでした。
*初出は、『人民新聞』2007.9.15(第1289号)。ただし、ウェブでの再録にあたって、『人民新聞』発表時より、一部を改訂・変更しています。
藤井枝里(ふじい・えり)
上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業。2008年8月より、FLACSO-Argentina(ラテンアメリカ社会科学大学院・アルゼンチン)社会・政治人類学修士課程。
朝6時に集合し、バスに3時間揺られてデアン・フーネス(コルドバ北部の町)へ到着。9時、道路封鎖開始。
メガホンで歌いながらアピール。
封鎖した道路で、輪になって踊り始める。
だだっぴろい道路に、広がって歩く。解放感が満ちる昼下がり、路上で料理したお昼ご飯を食べて、解散。