日常生活の前衛 ── 天使として生きる【4】 |
廣瀬純+佐々木祐 |
── 僕らは、「生」全体を、芸術的に生きなければいけないのだということです。 |
佐々木 | : |
運動と国家の関係については、どうお考えでしょうか。 |
廣 瀬 | : |
運動と国家ということで、いちばん関心があるのは、ベネズエラですね。僕は、ベネズエラには行ったことはないんですが、話を聞いたり読んだりする限り、やっぱりすごい。ベネズエラとボリビア、この2つの国は、運動と国家とのあいだの関係が、アルゼンチンやメキシコとは違います。 |
廣 瀬 | : |
これまで国家は、運動を自分の敵だとみなしてきた。たとえば、国鉄や社会保険庁の問題のように、労働組合運動が国家に迷惑をかけている、だからこれを解体しなければならない、というような話です。しかし、ネグリがジュゼッペ・コッコとのラテンアメリカについての共著『GlobAL ── グローバル化されたラテンアメリカにおける生権力と闘争』★7のなかで、書いていることでもありますが、そうした考え方は間違っている。 |
佐々木 | : |
運動の自律性にとって、ボリビアの方が難しいかもしれませんね。ボリビアの場合、ボリビアに住む人びと、運動に関わる人びとは、簡単にエボと自己同一化できてしまうかもしれない。ですが、チャベスはそれができない。みんなどこかで「あいつは痛いやつだ」と思っている(笑)。 |
廣 瀬 | : |
反チャベスでなければ、彼が敵としているものと反対していることになるから。だから国家の側に対して言えることは、とにかく、運動が開発の力になるという考え方を徹底的に取るべきだということですね。 |
佐々木 | : |
チャベスの悪口を言うことは、アメリカ合衆国と同じことを言うことになる。 |
廣 瀬 | : |
そう、悪口を言おうとすると、ブッシュと同じことしか言えない。それはしないよう、自分を戒めなければ(笑)。 |
佐々木 | : |
日本においては昨今、国家論が様々に語られています。廣瀬さんご自身は、現在語られている国家論や、国家にたいする運動側の戦略といったものについて、どうお考えでしょうか? |
廣 瀬 | : |
僕は、はっきり言って国家に関して興味がないんです(笑)。運動は、市民社会とはうまくやっていくべきだと思うけど、特に国家について、深く考えたことがありません。正直に言って、国家について考えることが、運動にとって何の役に立つのかいまひとつよくわかりません。 |
佐々木 | : |
少なくとも運動の側が、国家のことをわざわざ慮ってやる必要はない。 |
廣 瀬 | : |
そうですね。ただし「原国家」が運動のただなかから芽吹くのは、抑制しなければなりません。まさに「国家に抗する社会」としての自己統治を、自分のなかでもやらないといけない。自己統治は、アウトノミア構築の基本だと思います。 |
佐々木 | : |
お話にもあったように、ラテンアメリカでは、国家が運動を吸収しようとする力が、とても強い。運動の側がそれに抗してゆくためには、どのような戦略・可能性があるとお考えでしょうか。 |
廣 瀬 | : |
運動のすごいところは、何よりもまず、そのクリエイティヴィティです。運動はやっぱり「前衛」なんです。日常生活の前衛。運動にとって、何より重要なことは、日常生活にクリエイティヴィティを取り戻すということで、ピケテロスやサパティスタの運動がおもしろいのも、そうしたことが実践されているからです。 |
佐々木 | : |
「生活=芸術」であり、「生活=闘争」でもあるわけですね。 |
廣 瀬 | : |
そうです。闘争というのは芸術だから。僕が、映画と運動の間に、何か同じことを見出しているとすれば、映画も運動もまったく同じように、「生」の最先端にあるということです。 |