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なぜ、世界銀行は環境破壊をやめられないのか 書評 マイケル・ゴールドマン『緑の帝国 世界銀行とグリーン・ネオリベラリズム』(山口富子監訳、京都大学学術出版会)
安藤丈将
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世界銀行の環境政策は、途上国から反発を受けている
2007年12月、インドネシアのバリ島は、「国連気候変動枠組条約第13回締結国会議」の参加者であふれ返っていた。メディアの注目を集めることはなかったが、バリ市街地のハイアットホテルの前で、小さなデモがおこなわれた。参加者の大半は、インドネシアの農民運動や環境運動、ジュビリー・サウスやフォーカス・オン・ザ・グローバル・サウスといった、「南」のオルター・グローバリゼーション運動の活動家であった。
デモの参加者たちは、世界銀行が「森林炭素パートナーシップ基金」(FCPF)に乗り出すことに抗議し、世銀総裁のロバート・ゼーリックの宿泊するホテルの前で、パフォーマンスをおこなった。会議中に表明されたFCPFの提案によれば、途上国が森林を伐採せずに所有し、二酸化炭素の吸収に貢献すれば、1億6000万ドルの報酬が提供される。
なぜ、途上国の活動家は、一見すると自分たちに利益をもたらすような世銀の環境基金に、反発したのであろうか。これを理解するには、過去の世銀の環境政策が、いかに途上国側の不信感を引き起こしてきたのかを知らなくてはならない。
ゴールドマン『緑の帝国』は、こうした途上国による世銀への抗議運動を理解するための、導きの糸となるテキストである。
構造調整政策は、途上国の人びとの生活を破壊してきた
世界銀行がおこなってきた悪事は、いまでは世界中の数多くの人びとに知られている。貧困削減、温暖化対策、持続可能性……。世銀が発信する美しい宣伝文句をそのまま鵜呑みするのは、あまりにお人よし過ぎるというものである。
G8を中心とする、世界の大国からの基金拠出で成立しているこの銀行は、1970年代に巨額の資本を途上国に融資した。それが膨れ上がって債務となった80年代には、さらなる融資の代わりに、「構造調整」と呼ばれる政策を途上国に課した。
貿易の自由化、公共サービスの民営化、教育や福祉支出の削減などからなるこの政策は、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの人びとから基本的な生活の糧を奪い、大規模開発を強行して美しい自然をぶち壊してきた。
こうして、ネオリベラリズムの推進役としての世銀は、80~90年代に、生活・環境破壊に怒る「南」と、グローバルな公正を求める「北」からの広範な抗議行動に直面することになったのである。
「環境に配慮した開発」──世界銀行の改心?
各方面からの厳しい批判を受けた世銀は、90年代、遅くとも2000年までには、はっきりと改革の姿勢を示さざるをえなくなった。世銀のプロジェクトや政策に、「環境に配慮した開発」という考え方が取り入れられるようになった。「南」「北」の社会運動の力は、確かに世銀を変えたのである。このことは強調しておこう。
たとえば、いまでは世銀の多くの開発プロジェクトに、環境アセスメントが実施されている。その業務ガイドラインによれば、大規模プロジェクトにあたって、世銀職員は学者やNGO活動家と相談しながら、プロジェクトが環境に及ぼす悪影響を回避し、場合によっては住民に補償をおこなうことになっている。
こうした環境への影響評価を支えているのは、世銀によって生産される、科学的な知である。「費用便益分析」を基礎とするこの知は、プロジェクトによる環境への被害の経済的価値を測定し、それを開発による収益と比較考量する。そのことで、「環境にやさしいプロジェクト」の推進に、お墨付きを与えるのである。
世銀は、こうした「持続可能性」や「市民社会の参加」といった議題を盛り込んだ知、「グリーン・サイエンス」を生産するという役割を担っている。年間3000万ドルの研究費を持ち、西洋の有名大学を卒業した9000人のスタッフからなる世銀は、グリーン・サイエンスの生産を通して、途上国開発に正当性を付与しているのである。
そして、いまでは世銀は、たとえプロジェクトが住民からの異議申し立てにあっても、環境アセスメントの結果を盾に、科学的に反論することが可能になっているのだ。
「グリーン・ネオリベラリズム」
──環境問題への取り組みを通じての統治
しかしながら、世銀の「環境に配慮した開発」は、単なる「北」による「南」への強制と見てはならない。ゴールドマンは、このことを強調する。
世銀は、「南」と「北」の出会う現場である。「南」の社会運動の問題提起は、世銀という場で処理される。世銀は、運動側から新しく出された問題提起への解決策を示すことで、自らが直面する危機を乗り越え、「南」への影響力を更新したのである。
だから、90年代以降の世銀は、環境問題を無視してきたのではない。むしろそれへの取り組み、すなわち政府・企業・NGO・専門家らと一緒に科学的な知を生産することを通じて、ヘゲモニーを握り、「南」を統治してきたのだ。
ゴールドマンは、アントニオ・グラムシに依拠しながら、このような合意形成のメカニズムを「グリーン・ネオリベラリズム」と呼んでいる。最近では、ネオリベラリズムの思想と政策の特徴は、数多くの研究の貢献によって、広く知られるようになった。
しかし、ゴールドマンの分析は、それをさらに一歩前に進める。世銀の変化に焦点をあてながら、ネオリベラリズムの正当性が、いかにして確保されているかを明らかにするのである。
世界銀行の理念と現実
それでは、このような「緑の世銀」は、環境破壊を止めることができるだろうか。ゴールドマンの答えはNOである。本書の3、4章では、世銀の組織分析と職員へのインタビューを通して、なぜ世銀が環境保護という課題を自ら提起しておきながら、結局それに十分に取り組むことができないのかを具体的に示している。
たとえば、世銀の環境アセスメントの調査は、プロジェクトを運営する業務部からの資金によっておこなわれる。したがって、ローン・マネージャーが関心を持つ調査には資金が付くが、プロジェクトをストップや大幅修正しかねない調査の場合、資金を見つけるのは難しい。
世銀に雇用される環境アセスメントの専門家たちは、十分な情報を提供できないまま、プロジェクトが問題なく進んでいるという結論を出すことを余儀なくされているのである。
こうした現状を前にして、世銀で勤務する専門家の中には、良心の呵責に悩まされる者も出てきている。
たとえば、80~90年代に世銀に勤めた環境経済学者のハーマン・デイリーは、ブラジルの原発部門融資プロジェクトにかかわった。その準備報告書では、原発部門の融資によって軍が得られる利益は計算されていても、環境に及ぼすコストは十分に考慮されていなかった。かれが、分析の不備に関するメモを経済本部に提出したところ、ラテンアメリカの地域担当経済部門の怒りを買い、ハーマンは環境アセスメントから他部門へ異動させられてしまった。
ハーマンは、プロジェクトの不備を指摘しても、「クライアントをむやみに不安にさせる必要はない」という言葉で上司に却下されるのが常であったと話している。ハーマン以外にも、ゴールドマンの精力的なインタビューは、多くの元世銀職員や専門家が、理念と現実とのギャップに苦悩する様子を明らかにしている。
ネオリベラリズムの合意形成のもろさ
これらのインタビューが教えてくれるのは、「帝国」というグローバルな権力を制度的に支えている世銀が、実は、その内部に深刻な矛盾を抱えているということである。それは、ネオリベラリズムの合意形成のもろさを明らかにしている。こうした矛盾に日々さらされている世銀の職員のなかにも、無数の苦悩が漂っていると推察される。
この苦悩に光をあて、グローバルな公正を求める「北」の債務帳消運動の声を集め、最終章に登場する「南」の反世銀活動家の怒りとつなぎ合わせること。これこそが、世銀からヘゲモニーを奪い返す力になることを、本書は示している。
安藤丈将(あんどう・たけまさ)
オーストラリア国立大学院生。日本のニューレフト運動とアジアのオルター・グローバリゼーション運動を研究している。
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