洞爺湖サミットに反対する国際旅団は、現地キャンプで何をしたか
矢部史郎(現地・豊浦キャンプ本部)

4、国際旅団が集結し分裂する

7月6日、札幌市を出発した大型バスに分乗して、洞爺湖周辺の3ヶ所のキャンプ地に活動家たちが到着しました。キャンプ地は、サミット会場の西側にあたる豊浦町に1ヶ所、会場の東側にあたる壮瞥町に1ヶ所、さらに、地元北海道の反サミット運動が伊達市の牧草地にテントを設営しました。サミット開催期間中の行動は、東西の2ヶ所でデモンストレーションが計画されていました。東と西から、サミット会場に向かって歩いていくという行動です。
 
豊浦キャンプでは、夜の全体会議の場で、翌日の行動計画が提起されました。準備を進めてきた日本の活動家から提示されたのは、キャンプ地からサミット会場に向けて約20キロを歩いていく、という計画です。会議は深夜まで紛糾します。20キロを歩くということは、7時間から8時間をかけて歩いていくということです。これはデモンストレーションの域を超えて、行軍に近いものです。多くの反対意見がでました。そのなかで繰り返し要求されたのは、電車かバスを利用して行くことでした。しかし、行動計画を準備した日本側の指揮団は、この要求が非現実的であるとして拒絶します。乗り物に乗れば警察に包囲されて身動きできなくなるだろう、もっとも低いリスクで会場に近づくのは、徒歩で行くことだ、というのです。どれほど困難でも、歩いて行くのだ、と。海外の活動家たちは、この計画が不合理で非現実的であるとして拒絶しました。会議は物別れとなり、方針はまとまらず、ただ日本の活動家たちだけがこの計画を支持し行動の準備を進めていきました。
 
7月7日、東西の2ヶ所で現地行動が開始されました。
 
サミット会場の東側に位置する伊達キャンプと壮瞥キャンプの活動家たちは、壮瞥町の牧草地に集結し、洞爺湖畔に向けて歩き始めます。
 
一方、西側の豊浦キャンプは、はっきりと分裂していました。日本の活動家たちはデモンストレーションの準備を整え、予定されていた行動に出発します。欧米の活動家たちは行動計画を拒否し、別の計画を練るための会議を始めます。
 
その日の午後、欧米人たちの部隊が方針をまとめ動き出します。彼らの行動計画は、電車に乗ってサミット会場に向かう、というものでした。キャンプ本部からのコメントは、その計画はおそらく無理なのだがどうしてもそうしたいならやってみろ、というものでした。海外の活動家と日本の活動家とでは、ある点で状況の認識にズレがありました。日本の警察がどのように動くか、どのような事態が予測されるか、という点です。日本の警察がどれほど理不尽で非合法的なやりかたで規制をかけてくるか、海外の活動家にはいくら話してもわからないのです。話してもわからないなら、実際に包囲されてみればわかるだろう、一度やられてみればいいじゃないか、と考えたのです。
 
海外の部隊が出発して間もなく、彼らは警官隊の規制に阻まれ、一歩も前進できなくなります。北海道警本部から豊浦キャンプ本部に電話が入ります。警察側からの通告は、逮捕はしない、だが絶対に通さない、というものでした。これは完全に非合法的な規制です。膠着した状態が続くなかで、しだいに雨が振り出してきます。彼らは肩を落としビショ濡れになりながら、キャンプ地へ戻ってきたのでした。
 
7月8日朝、豊浦キャンプのゲートに、統一された国際部隊が登場しました。20キロの行程を歩く決意を固めたのです。行動指揮団、医療班、食糧班、人権監視団が、静かに速やかに準備を進めます。行動の時間は限られています。道路使用許可書のタイムリミットは、午後4時。それまでに20キロを踏破しなくてはならないのです。前日までの賑やかさに替わって、静かに出発を待つ人々がいます。距離をめぐる議論は聞こえません。理不尽な制限を受けたなかで、おそらく誰も経験したことのない無茶苦茶な行動にのぞみ、このとき、豊浦キャンプの国際旅団は速度を獲得したのです。警察によるサミット規制がどれほどの制限を課したとしても、反サミットの国際旅団は平然と現地に登場するのです。

5、速度を与える多元主義

最後にもう一度、速度の問題に戻ります。
 
速度について考えた思想家に、孫子という人がいます。孫子は古代中国の兵法家です。孫子の有名な一節に、「兵は拙速を貴ぶ」という言葉があります。戦闘は短期間でなければ勝てない、長期にわたる戦闘に勝利はない、という意味です。孫子の兵法は速度を追究します。彼はまた「百戦百勝は善の善なるものにあらず」とも書いています。戦闘に出て必ず勝利するというのでは最善ではない、もっともよい勝利は闘わずに勝つことだ、という意味です。孫子の兵法が目指したのは、軍師が戦争の時間を圧縮し、ついには戦闘行為そのものを無化するまで速度を高めることです。それが戦争であると誰も気づかないような速度で、速やかに勝利を得よ、というのです。
 
こうした速度の要求に一つの解答を与えたのが、呉子に代表される法家主義です。法家は、将兵の統制・管理をどのように推し進めるかを考えた学派です。彼らは、軍・政の一元管理を極めることで、軍の速度を高めようというのです。当時もっとも辺境にあった秦国は、法家の韓非子を迎え入れ、厳格な中央集権体制を築きます。そうして軍・政を一元管理する秦国が、中国全土を併合し統一国家を実現するのです。
 
孫子と呉子はよく並列されます。そのため孫子の思想と呉子らの法家主義とは、しばしば混同されてしまいます。そうして、強力な軍隊は一元的に統制・管理された軍隊であると見なされがちです。しかし、孫子の思想には、法家のような一元主義的な傾向はありません。孫子は、国家の不当性を論じ、兵士の自律性を強調し、ときには上官の命令に背くことすら推奨しています。その思想は中央集権的ではなく、むしろ分権的なものです。権威主義ではなく、反権威主義なのです。そうした見地にたつと、法家主義は孫子を継承しておらず、孫子が要求した速度を捉えそこねています。孫子が目指したのは、水のように定まった形をもたない作戦を展開することです。その作戦を担うのは、君主とは別の自律した規則を持つことで、国家から自由になった兵団なのです。
 
洞爺湖サミットに対する反対運動の最大の特徴は、ひとつの中心に集約されない多元的な組織作りでした。運動の連絡会は統一されず、複数の連絡会・連合が並立していました。それは、諸々の運動体が会を統一できなかったからではなくて、むしろ、それぞれに自律した複数の中心が形成されることを目指していたからです。
 
こうした多元的な組織づくりは、不安がつきまといます。なぜならこうした組織では、誰も全体を把握できないからです。誰も全体を把握できず予測できないとき、どこで誰がどのような作業を進めているかわからなくなる、前後不覚になる、と考えられるのです。
 
洞爺湖の現地行動では、あらかじめ複数のキャンプ地が設営されました。そこにあらわれたのは、誰も全体を把握できないようになるという事態です。それぞれのキャンプ地は、最大で40キロの距離で隔てられ、キャンプ間の情報は極端に制限されていました。3つのキャンプ地と2つの行動計画を前にして、多くの参加者が地図とにらみ合い右往左往していました。各地のキャンプ本部は、行動の全体がどのように展開していくのか、はっきりと予測できません。キャンプ地にいる誰もが、いわば漂流を経験したのです。
 
一元的な組織では、こうした漂流は否定的にとらえられるでしょう。漂流という事態は、速度が損なわれ自由を失った状態であると考えられるからです。しかし多元的な組織は、漂流をひとつの過程として是認します。なぜなら漂流は、速度の基礎を為すものだからです。
 
ここでまた法家主義の問題に戻りましょう。法家によって中央集権体制を築いた秦国は、他の諸国家を併合し、統一国家を実現します。国家間の戦争では、秦国は最強になったのです。しかしその支配は長く続きません。兵士と農民による大規模な反乱が起きるのです。中国統一後の兵士、元兵士、捕虜、農民たちは、かつて仕えていた国を失い、それぞれに漂流を経験したでしょう。国を失い国家から解放された人々は、それぞれの漂流のなかで速度を高め、国家を打ち負かす力を獲得したのです。統一によって拡張された広大な空間に、反乱軍が散開し、複数の旅団が漂流していきます。秦国の法家主義はこの反乱を鎮圧できず崩壊します。すべての国家に勝利した強大な中央集権体制は、複数の、国家をもたない旅団に敗北したのです。
 
多元的に組織された運動は、誰も全体を把握することができません。洞爺湖サミットの反対運動は、まさにそのようなものとして準備されました。そこには不安がつきまとうかもしれません。しかし現実にはそうではないのです。いったい大きな運動の広がりに関与するというとき、その運動の全体やら大きさやらを推し量ることにどんな意味があるでしょうか。そのような尺度に関わる迷いや躊躇は、現実の実践のなかで少しずつ忘れられていくのです。そうして尺度をすっかり忘却したときに、運動の運動性に速度が与えられるのです。

6、国際旅団の次の取り組み

来年のサミットはイタリアです。洞爺湖行動に参加した人々の一部は、イタリアの情報を集め準備しているでしょう。各自が機動力を保持するために、現代の先端技術を装備しています。小型化・軽量化されたテント、高性能の寝袋、ラップトップPCと無線LANです。そうした装備一式を背負って、大型旅客機に乗りこみ、現地に集結するのです。
 
私はイタリアではなく、来年、東京でのキャンプを計画しています。今回の行動で知り合った韓国や台湾の活動家たちと、ふたたび旅団を形成し行動に出たいと考えています。内容についてはここでは書きません。ある日、ある土地に、忽然と登場するでしょう。
 
これまで洞爺湖の現地キャンプについて、「国際キャンプ」とか「国際旅団」と書いてきました。しかし旅団というのは本来、国も際も無くしていくという運動です。そうした尺度を無化するまで、速度をあげていかなくてはならないと考えています。
 
※初出掲載誌:『リプレーザ』NO.07 (summer/autumn 2008)、リプレーザ社