ロンドン便り(2)
新自由主義下の都市居住──イギリスのスクウォット運動

丸山里美

 
 
レオンは29歳、アフリカ系イギリス人。ロンドンの貧困地区に暮らす、失業中の男性である。月276ポンド(約4万1500円)の失業者手当をもらっていたが、家賃を支払う余裕はない。仕方なく彼は、親戚や友人の家のソファで寝る居候生活を続けていた。若年失業率が10パーセントを超えるイギリスで、非白人で学歴も特別なスキルもなく、犯罪歴のあるレオンが仕事を見つけるのは容易ではないだろう。困った彼は、ホームレスとしての認定を受けられないか(★1) と住宅局を訪れたが、福祉支出を削減したい住宅局に申請書の受け取りさえ拒否され、追い返されていた。
 
私がレオンに会ったのは、イギリスに1年間滞在している際メンバーになっていた、London Coalition Against Poverty(以下LCAP)という団体でだった。若いアクティビストを中心に結成されたLCAPは、ロンドンでラディカルな反‐貧困運動を展開しており、直接行動を理念に福祉申請のサポートも行っていた。途方に暮れたレオンが連絡してきたこの団体で、私は彼の相談を担当することになったのだった。
 
レオンは家賃の安い公営住宅に入りたいと申し込みをしていたが、待機者の数は膨大で、彼の番はほぼ永久に回ってこないだろうと思われた。不当な扱いを受けていた彼の住宅待機リストの順位は、LCAPのサポートもあって改善したが、それでも公営住宅を手に入れるまでに最低5年は待つ必要がある。そうわかったときに彼が洩らしたのが、「スクウォットするしかないのだろうか」という言葉だった。

スクウォットとは

スクウォット(squat)とは、使われていない土地や建物を、法的権利のないまま無断で占拠することである。ヨーロッパや北米では建物が、アジアや南米、アフリカでは土地が占拠されることが多い。イギリスでは空き家や元学校・病院などがスクウォットされるのに対し、日本の場合には他のアジア諸国と同様、公園や河川敷の土地にテントを建てて暮らす野宿者を、スクウォッターということができるだろう。
 
スクウォッターは法的に占有できる住処を持たないという意味で、ホームレスの一形態とも考えられる。実際イギリスでは、ホームレスの範囲を日本よりも広く捉えており(★2)、スクウォッターをその中に含めることがある。
 
居住場所がないホームレス状態は一般的に、①屋根なし(rooflessness)、②家なし(houselessness)、③不安定・一時的居住、④容認し得ない住宅、などに分類されており、①は路上生活をしている野宿者、②は短期シェルターや安ホテルにいる人、③は居候、立ち退きの危機にある人、スクウォッター、④はDV被害に遭っていたり基準以下の住宅に住んでいる人などを指す。そしてホームレスについて語るときは、そのうちどの範囲までを含めるのか最初に定義するのである。安定した居住場所を持たずに居候を続け、スクウォットも考えていたレオンの場合も、③の定義に従えばホームレスということになる。
 
スクウォットが違法とされている国もあるが、イギリスではこれは犯罪にはあたらない。警察が介入する刑事事件ではなく、所有者とスクウォッターとの話し合いで解決されるべき民事的な問題だと考えられているのである。そのため裁判に訴えない限り、スクウォッターを立ち退かせることはできず、ある程度その権利は守られている。
 
スクウォッターの実態についてはイギリスでもほとんど知られておらず、公式の統計も存在しない。だが1975年からスクウォッターの相談に応じている Advisory Service for Squatters(以下ASS)(★3)の概算によると、イギリス全体でその数は2万5000人ほど、多くがロンドンなどの大都市に集中している。スクウォッターというと、オルタナティブな生活を求める若者がイメージされるのが一般的だが、ASSで長く相談活動をしているトニーによれば、実際にスクウォットしているのはこうした若者よりも、貧困のため、スクウォットする以外に住宅を手に入れる手段がないという人が多いのだという。スクウォットをライフスタイルの選択として捉えるのか、貧困の問題として捉えるのかは極めて政治的な問題で、日本の野宿者を取り巻く言説に近いものを感じる。

居住・政治・文化運動

イギリスで広くスクウォットが行われるようになったのは、1946年のことである。戦災で多くの住宅が焼失したうえに、兵士たちが帰還しはじめると、住宅不足は加速する。その一方で、混乱の続く都市部を離れる人もあり、空き家も増加していた。空き家が増えているにもかかわらず、ホームレスが増加するという逆説的な状況の中で、スクウォットは広がっていったのだった。
 
当初中心になっていたのは家のない貧困家族だったが、1960年代後半からはより多様な人が関わり、文化的・政治的な意味を帯びるようになっていく。再開発を待つストリート全体が占拠されたところでは、共同キッチンや託児所などが作られ、自前の医療サービスや職業訓練が行われた。地域の新聞が発行され、集められた廃棄食品が無料で配られたり、音楽イベントが企画されることもあった。それは居住運動だけにとどまらない、自分たちの手で自らの生活を作りあげようとする生活運動でもあったのである。
 
こうしてできたコミュニティの中には、エスニック・マイノリティが差別から身を守るために集住するものや、自助グループが開かれて障害を持つ人を多く抱えるものもあった。DVのために家を出た女性を保護する法律がなかった当時、彼女たちが身を寄せたのもフェミニスト団体がスクウォットした空間だった。スクウォットは、住宅を獲得することが困難な人を受け止める、福祉的機能も果たしていたのだった。
 
このように、居住だけではなく運動やアートの拠点となるようなスクウォットは、イギリスでは2000年以降、イタリアの運動の影響を受けて、ソーシャルセンターとしてふたたび若者たちの間で広がっている。比較的大きな建物をスクウォットし、そこに住むだけではなく、展覧会やライブ、上映会、討論会などのイベントや会議に使うのである。運動の資料やグッズをそろえたスペースがあり、カフェが開かれ、世界中からアーティストやアクティビストが集まってくる。旅人も頻繁に泊まっていた。
 
ロンドンで現在もっとも長くスクウォットされているRampARTというソーシャルセンター(★4)では、廃棄食品を集めてホームレスなどお腹が空いている人に配るFood Not Bombsという団体が調理を行っていたりもした。関心のある有志で修繕を加え、話し合いを重ねながら運営しているソーシャルセンターは、カラフルなアート、創意に満ちた活動、協働する技法など魅力的なアイディアであふれ、国家や巨大な資本に頼らない「もうひとつの世界」を足元から実現していく、まさに共同の実験場である。

貨幣経済に頼らない生活

LCAPのメンバーで、ASSでも相談活動をしている友人のアダムも、8年間スクウォットを続けていた。現在は元図書館だった建物に6人で住んでいて、訴訟に持ち込まれながらも、そこでの暮らしは1年半になるという。アメリカ出身のアダムは26歳。故郷の保守的な田舎町に嫌気がさし、高校を卒業するとすぐに旅に出た。旅の途中でアナキスト運動に関わるイギリス人パートナーと出会い、それ以来イギリスに住み続けている。現在も観光ビザで滞在し、ときには更新を忘れて不法滞在になることもあるという彼は、イギリスでは正式に就労することができない。そのため、建設労働、内装工事、交通量調査などの非正規労働を週3日して稼ぐ月300ポンド(約4万5000円)ほどが、彼の唯一の収入である。
 
厳格なビーガン(★5)で、ロンドン内の移動はすべて自転車、DIYを信条とするアダムの生活に現金はそれほど必要なく、今の収入の半分あれば十分に暮らしていけるという。食費に少しと、ときどき友人たちとパブに行くだけの小銭があればいい。野菜は堆肥を使って庭で育てる。他のスクウォッターと同様、スーパーの廃棄食品を拾って食べることも多い。「まだ食べられるものがいっぱいあるからね。捨てるなんてもったいない。最近は忙しくてあまり行けてないからダメなんだけど…」と、食料を買うことの方を恥ずかしそうに語るのだった。
 
お金はないが、自由になる時間の多い毎日。そして空いた時間をLCAPやASSなどの運動に費やす。それは以前にフルタイムで働いていたときよりも、はるかに豊かな生活なのだという。
 
正規の就労ができないアダムの生活は、貧困であることは間違いない。それでもスクウォットすることで高額なロンドンの家賃分を節約し、必要以上に賃労働をせず、DIYの精神で仲間とともに創意工夫をし、乗り切っていく。貨幣経済にできるだけ頼らないその暮らしぶりには、雇用や住居の質が切り縮められていく現代の日本でも、オルタナティブな生活を営んでいくためのヒントが詰まっているだろう。

生存を賭けた闘争

現在、世界中のスクウォッターの数は、約10億人(★6)。とすれば、全世界人口の7人に1人がスクウォッターということになる。スクウォットはいまや、膨大な人口の事実上の存在形態になっているのである。
 
このスクウォットをめぐっては、近年第三世界や一部の先進国で、政府の対応に変化が見られるという。コストのかかる暴力的な立ち退きよりも、スクウォットを公認することが主流になっているのである。一定の基準を満たす住人や住民組織に建物や土地の所有権を与えるこの動きはしかし、諸刃の剣である。既得権を保障され、安定した居住空間を手にする人と、基準を満たせず追いやられる人に、住民が分断されていく。さらに公認されることによって貨幣経済に巻き込まれた空間は、しだいに富裕層に集中していくというのである。そしてより重要なことには、貧民が自立して生活するのを政府が称揚するだけで、その責任は放棄され、守られるべき最低生活の水準は切り下げられてしまうことになる。
 
こうした新自由主義下の都市では、住むことはいっそう激しい闘争のフィールドになっている。そこでは、スクウォットは束の間の住処であるにとどまらない。ここから切り開かれる地平は、生活と労働とのバランス、他者と協働すること、私的所有や貨幣経済そのものを含む、私たちの生活全体のより根源的な問い直しにまで広がっている。
 
*この文章は、『オルタ』2009年5・6月号 特集「居住革命!─反富裕・DIY・スクウォット」からの転載です。

 
 
 
丸山里美(まるやま・さとみ)

日本学術振興会特別研究員。社会学・ジェンダー論。論文に「自由でもなく強制でもなく」『現代思想』34-9(2006)など。