日常生活の前衛 ── 天使として生きる【2】 |
廣瀬純+佐々木祐 |
── 「合理性って、それほど重要なの?」みたいな考え方があるような気がします。 |
佐々木 | : |
2007年の夏、はじめてサパティスタ自治区★1を訪問されたそうですが、どのような感想をお持ちになりましたか。 |
廣 瀬 | : |
「どんなことをしているんだろう?」と、ずっと行ってみたいと思ってました。行ってみて、まず思ったのが予想以上に領土が広い。端から端まで行こうとしたら、山道ということもあるけど、車でも一日では行けない。そのでかさにはびっくりした。もちろん、そこにサパティスタの人たちだけが住んでいるわけではないんだけど、とにかくでかい。そのことにびっくりしましたね。 |
佐々木 | : |
そのあたりは、はっきりしていますね。 |
廣 瀬 | : |
いろいろな理由があるでしょうけど、それは、マルコスが覆面している理由ということでしょうね。彼が言うには、覆面は鏡みたいなもので、その鏡には君自身が映っているのだと。覆面の背後に誰がいるのかと不思議に思うなら、自分自身を鏡で見てみろと。そこに映っているのが、覆面の背後にいるマルコスだと。だから君はマルコスだと。 |
佐々木 | : |
一方では、行きやすいということもあります。日本人観光客も結構行っていて、土産物として売っている、覆面をしたサパティスタ人形を見て興味を持った人が、ちょっと行ってみようかと思っても、すぐ行ける。空間として、閉ざされた共同体というものではありませんね。 |
廣 瀬 | : |
閉ざされてはない。覆面とか言葉の壁で、ある意味、閉ざされているのかもしれないけど、サパティスタに大して興味が無い人も、サパティスタ自治区のいくつかの中心部にあるドミトリーみたいなところで、何泊もしたりしている。サパティスタなんてほとんど知らない人たちが、メキシコ国内や国外からたくさん来ている。無料で泊まれるしね。そういう意味では開かれている。 |
佐々木 | : |
自治を実践しているのは、ほとんど素人ですからね。 |
廣 瀬 | : |
たしかに、サパティスタは純然たる素人、あるいは普通人の集団です。「サパティスタは、マルチチュードだ」なんて言ってしまうと、どこかで聞いたお題目の繰り返しみたいになっちゃうけど、徹底的な普通人集団という、この意味においてこそ、やはりサパティスタは、マルチチュード時代の運動だと言えると思います。 |
佐々木 | : |
「素人であること」が、システマティックに定められているんですね。いろんな役職も輪番制で、なかなか一つの仕事に「習熟」したり、力関係が生じたりすることがないように運営されている。 |
廣 瀬 | : |
サパティスタには「合理性って、それほど重要なの?」「合理性を犠牲にしてでも、維持すべきもっと重要なことがあるんじゃないの?」みたいな考え方があるような気がします。彼らにとっては、みんなが輪番で何かやるということの方が、合理性よりもずっと重要なんです。 |
佐々木 | : |
それは、サパティスタを知らない人でも、一日行けば分かることでしょうね。そもそも、合理性とか非合理性というものは外から来た人間の見方で、彼らにとってみれば、外からどう見られようとそれでうまくいっているということがある。 |
廣 瀬 | : |
『闘争の最小回路』ではそれを、ピエール・クラストル★3の言う「国家に抗する社会」として受け止めました。要するに、国家というのは、社会の外部からやってきて、それに覆い被さるようなものではない。 |
佐々木 | : |
サパティスタは、いまでも分離独立運動のように言われることもあるけど、そんなことはない。そもそも彼らがやっていることは、システムとしての「国家」とは全く相容れない。サパティスタ自身、彼らの運動を、そういった性質のものにしようとも、できるとも思っていないでしょうけれども。 |
廣 瀬 | : |
ボリビアで、90年代前半に「トゥパク・カタリ・ゲリラ軍」というグループを組織して先住民解放武装闘争に携わった後、いまはメキシコ市に住んでいるラケル・グティエレスさんと、今回のメキシコ滞在中に話したことでもあるんだけど、もうひとつ重要なことは、いかにして運動のなかに家族みんなを巻き込めるかということです。サパティスタは、これに多かれ少なかれ成功している。 |
佐々木 | : |
自律的な空間をどうやってつくっていくかということですね。日本において、いかに自律空間をつくっていくかということについて、どうお考えでしょうか。 |
廣 瀬 | : |
やはり、突破口は田舎にあるのではないでしょうか。この意味で、山村工作隊みたいなものには、可能性があると思います。サパティスタも、もともと山村工作隊なわけです。ただし、都市からやってきた「前衛」が現地の「大衆」を導くというようなかつてのモデルでは、うまくいかないだろうし、そもそもつまらないものにしかならないでしょう。 |
廣 瀬 | : |
アルゼンチンの失業労働者運動がすごいのは、いままでの社会運動の組織化モデルを、完全に転倒させたというところです。それまでの社会運動では、あくまでも成人男子の正規賃労働者が「主役」であり、失業者や女性や子どもはよくて「脇役」、多くの場合は単なる「その他大勢」だったわけです。 |
佐々木 | : |
労働者や、排除されてきた階層だけではなく、中産階級までを含めてですね。 |
廣 瀬 | : |
そうです。僕が特にアルゼンチンに惹きつけられた理由は、中産階級の運動だったからです。太田昌国★5さんたちの世代から、崎山政毅さんたちの世代ぐらいまでのラテンアメリカ運動紹介者たちが、アルゼンチンにあまり興味を持っていなかったとすれば、その最大の理由は、アルゼンチンがいわゆる「第三世界」とは少し違うということにあったのではないかと思います。 |