アルゼンチンの息吹
4.日々の生活のなかから形成される力
──農民運動の体験実習に参加して

藤井枝里

大学の実習で、コルドバの農民運動に参加

コルドバで約30年ぶりという雪の降る朝、私は、大きなリュックと寝袋を背負って、大学に向かいました。教室に集まったのは約40人、コルドバ農民運動(Movimiento Campesino de Cordoba・MCC)での実習に参加するメンバーです。
 7月9日~17日の9日間、実際に農村での生活を体験しながら、社会運動について考えるというこの実習に、私も飛入りで参加しました。
 
参加者が集まったところで、まず自己紹介です。大半が私と同年代で、農学部や社会福祉学部の学生が多く来ていました。それぞれ3組に分かれ、社会運動とは何か、その概念や課題について話し合いました。
 運動における主体性の問題、つまり何のための、誰のための発展なのか。また、様々な運動グループが点在するなか、それらをどう繋げていくのか。都市と地方の乖離が進むなか、その間の空間に必要なものは何なのか。それら個別のアクター間の連帯、つながり合うこと、それこそが社会に変化をもたらす。社会運動とは、民衆による新たな力を構築するオルタナティブである。
 
こうした議論が、まるで当然のように進められていくこと自体が、私にとっては新鮮な驚きでした。分化した運動体を、いかに関係付けていくかという問題意識が、前提のように共有されているのです。この実習の意義は、まさにそこにあります。
 都市から周辺化された場所で、人々はどのように生きているのか。彼らの直面する問題を知り、また彼らの価値観に学び、人と人とのつながりを築いていく。つまり、この実習そのものが、社会運動におけるひとつの実践に他ならないのです。

毎日、こんなにのんびりしていていいのだろうか…

MCCは、コルドバ北西部にある7つのグループやコミュニティから構成される運動です。今回の実習は、そのうち3ヶ所に分かれて行われました。私が行くことになったのは、クルス・デル・エヘという場所です。
 どこまでも続く、乾いた草原の向こうには、地平線。走り回る犬、地面をついばむ鶏、七面鳥、水場に集まる豚、眠りかけの牛…。そこには、ふだん私の身近にあった都会生活と同じ時間が流れているとは思えない、静かな世界が広がっていました。
 
2日目、地域の人々が集まって、料理教室が開かれました。このような知識を共有する学び場は、困難な生活を向上させるため、また、地域の人々とのつながりをつくる開かれた空間として、定期的に開かれているそうです。
 メニューは鶏肉とトマトソースのパスタ、パン、お菓子と盛りだくさんです。パンやパスタは小麦粉からつくり、庭から取った鶏は、炭火のかまどで煮込みます。自然の恵みをつくづく実感させられたご馳走でした。
 
その夜から、各家庭に1人か2人ずつで泊めてもらい、生活を共にする4日間が始まりました。私が泊まったのは、マルコおじさんとイルマおばさんが2人で暮らす家でした。彼らは、「サン・ペドロ」という、4ヶ月ほど前に立ち上がったばかりの組織のメンバーです。
 それから毎日、近くの家まで行って(といっても一番近い家まで歩いて15分という距離ですが)、ヤギの乳搾りをさせてもらったり、のんびり世間話をしたりして過ごしました。
 
しかし、平穏な日々が太陽のリズムで過ぎていくなか、私はだんだんと疑問を感じ始めていました。いったい、どこに「社会運動」があるんだろう? 毎日、こんなにのんびりしていていいのだろうか…。

「時間のかかる長い道のりだけど、私たちはきっと到達できる」

そして、農村の人々と過ごす最終日、クルス・デル・エヘにある3つの組織が庭先に集まって、地域集会が開かれました。
 おもな議題は、水へのアクセス、飼料の共同購入プロジェクト、子ヤギの共同販売キャンペーンなどについてです。私たち実習生も、再び全員で顔を合わせ、経験したことや感じたことを共有し合いました。
 みな一様に、人々の連帯感の強さ、仕事に対する責任感の強さ、土地のもつ価値の重要さなどを挙げました。また、人々が組織化を始めてから、ちょうど1周年を迎えるとあって、いままでの変化や成果が話し合われました。
 
そこで、みな口を揃えたのが、「以前は、自分たちの権利を主張することができなかったけど、いまは、自分たちの力を信じることができるようになった」ということでした。あるメンバーの「時間のかかる長い道のりだけど、私たちはきっと到達できる」という言葉が力強く響きます。
 そこには、組織化の生み出す力がはっきりと意識され、人々の自信につながり、様々な課題を克服する力になる、という循環が存在していました。

社会運動を日常化すること

私はふと、デモや集会が「社会運動」だと思い込んでいたのかもしれない、と思いました。あるいは、ラテンアメリカの新しい社会運動の台頭を、理想化しすぎていたのかもしれません。探していたものが見つからないのは当然で、そこにあったのはただ、少しでも皆でよく生きよう、後につないでいこうとする人々の集まりだったのです。
 それは目立たない、ごくゆっくりとした変化で、日々の世間話や周りの人々と共に働くなかで形成される力です。そうした、地に足の着いた歩みだからこそ、その力は強いのだと思います。
 
ようやく日本では、貧困が自分の国の問題として、意識され始めたばかりです。私たちも、「途上国の恵まれない子どもたち」のために100円を募金するより、隣に住む家族や学校の友達と話し始めてみるべきかもしれません。つまり、社会運動を日常化することこそ、いま私たちに必要なのではないでしょうか。
 
*初出は、『人民新聞』2007.8.5(第1286号)。ただし、ウェブでの再録にあたって、『人民新聞』発表時より一部を改訂・変更しています。