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アルゼンチンの息吹
7.女性の権利拡大の闘い
藤井枝里
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女性の生きる権利を!──深刻な貧困と中絶問題
「中絶しないために避妊を、死なないために合法的な中絶を!」
「生むのは私たち、決めるのは私たち!」
全国からコルドバに集結した、2万人以上の女性の声が響き渡りました。第22回目を迎える、全国女性集会の開会式です。フェミニスト、左翼政党員、労働組合員、教師、農民、主婦、同性愛者…、その他あらゆる立場の女性たちが掲げる横断幕やプラカードが、広場を埋め尽くします。
そして、その多様性をつなげるかのように、皆一様に緑のスカーフを身に着けています。それは、安全な妊娠人工中絶の合法化と無料化を求める全国キャンペーンの象徴であり、集まった女性たち共通の意思表示でもあります。
世界中で、「女性の選択する権利か、胎児の生きる権利か」という激しい議論を巻き起こしているこの中絶という問題は、とりわけ、カトリック教会の影響力が根強いこの国の現状に照らして考えたとき、その複雑さと重要性が見えてくるように思えます。
アルゼンチンでは、原則的に中絶が禁止されているものの、強姦の被害や経済的困窮などを原因とした、望まない妊娠は後を絶たず、妊婦の37%が中絶に至っていると言われます。深刻なのは、年間50万件以上にも及ぶ闇手術が行われているということです。そして、再生産年齢にある女性の死亡要因の第1位が、この闇手術による中絶であるとのデータもあります。
経済的に豊かであれば、他国に渡って手術をしたり、違法とは言え安全な病院で手術を受ける選択肢がありますが、そうでなければ、残っているのは何の保障もない病院外での闇手術です。その危険な手段を選ばざるを得ない、最も弱い立場にあるのが、性教育が不十分で、避妊に関する情報も乏しい貧困層の女性たちです。
中絶の合法化は、女性の生きる権利へ直接に関わると同時に、貧困の連鎖に歯止めをかけるという要求でもあるのです。
グローバリゼーションは貧困の発電機
それから、3日目の全体集会で結論を読み上げることを目指して、60以上もの分科会に分かれて幅広い議論が行われました。中絶合法化については言うまでもなく、女性とアイデンティティ、性、健康、暴力、都市労働者と農民、政治と権力、環境保護などなど、あまりに多岐に及ぶテーマを前に、行き先を決めかねてしばらく迷ってしまいました。
結局、私が参加したのは、1日目に「女性と生産組織:協同組合、零細事業、連帯経済」、2日目に「女性とグローバル危機」という分科会です。
1日目の「女性と生産組織」分科会。次々と、発言の手が挙がります。
「私たちの協同組合は、ただ必要に迫られて生まれたけれど、今では新たな仕事の源であり、現在の経済システムにおける唯一の解決策だと思う。」
「私たちは、国から自律した経済を目指す必要がある。仕事がどういうものか、何が問題かを知っているのは私たちだから。」
「それぞれが参加しているという意識を持つことが大切。私は、どこぞの候補者に投票した見返りのお金なんて欲しくない。私は働きたい。仕事が欲しい。それが私を充実させてくれるし、女性であることを感じさせてくれる。」
経済を底辺から築き上げようと取り組む彼女たちが何度も強調した「連帯」という言葉に、女性の迫力と底力のようなものを感じずにいられませんでした。
2日目に参加した「女性とグローバル危機」分科会では、何人もの参加者が、アメリカ、スペイン、中国などのグローバル企業による搾取の現状について訴えました。
「グローバリゼーションは、貧困の発電機だ。帝国主義、寡頭支配、大土地所有、抑圧的な大企業…、私たちは被抑圧国に生きている。」
彼女たちが「略奪」と呼ぶにふさわしいその横暴さで、石油の輸出に頼る経済構造を固定化し、大豆の単一栽培が土地を枯らし、製紙工場が川を汚染し、人々の健康を蝕み続けているという報告が、各地からなされました。
様々な運動の垣根を越える女性たち
ある労働組合の相談機関で働く、心理学者のアナマリアさんが述べた労働ハラスメントの状況には、皆怒りの表情を隠しませんでした。
「ハイパーマーケットのレジやコールセンターでは、超長時間労働がまかり通っている。もちろん、残業代は払われない。トイレ休憩さえ与えられず、おむつの使用が強要される事例まである。
生理中の女性たちは、トイレに行くためにナプキンまで見せて、特別許可を上司に願い出ていた。妊娠なんて問題外。グローバリゼーションが強いる労働条件が、こうした奴隷以下の扱いを招いている。」
そして一人が、「女性は、階級とジェンダーという二重の抑圧構造のもとにある」と言うと、他から「男対女というジェンダー間の対立を乗り越えて、多様なセクターからなる闘いをグローバル化していくことが必要だ」と意見が出ます。
続けて私も、「日本の中でも同じことが起きており、苦しんでいる人はたくさんいる。抑圧国-被抑圧国という対立を超えることが大切だと思う」と言うと、「そうだそうだ」と声が上がります。
マチスモと呼ばれる男尊女卑文化が根強いとされるラテンアメリカで、女性の社会進出は、ここまで先を行っているのです。しかも重要なのは、それが単に女性の権利を主張するにとどまらず、様々な運動の垣根を越えて、より広範な運動の塊になっているということなのです。
*初出は、『人民新聞』2007.11.5(第1294号)。ただし、ウェブでの再録にあたって、『人民新聞』発表時より、一部を改訂・変更しています。
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藤井枝里(ふじい・えり)
上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業。2008年8月より、FLACSO-Argentina(ラテンアメリカ社会科学大学院・アルゼンチン)社会・政治人類学修士課程。
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