アルゼンチンの息吹
3.環境問題と新自由主義

藤井枝里

水は商品でなく権利だ!

5月14・15日、「アメリカ大陸における民衆のオルタナティブを目指して──水・土地・環境を守るために」というスローガンのもと、“TINKUYAKUⅡ”という集会が、コルドバで開催されました。
 私は、「環境に優しく」とか「地球を守ろう」といった類の、いかにも先進国的な発想の環境保護キャンペーンには、どうしても偽善的な印象を感じてしまいます。この日も、少し懐疑的な気持ちで、会場に入りました。
 
ところが、そこでまず気づいたのは、環境問題を明確に新自由主義批判の枠組みから捉え、その対抗軸を構築するという姿勢が、はっきりと貫かれているということでした。
 「水は商品ではなく権利だ!」「水道事業を、利用者・労働者による民主主義的管理に基づく国営に!」という主張が様々な運動から出され、水をイメージさせるバケツとゴムホースを持った人々のデモが行われました。
 
環境資源や生命までもが商品化され、代々自然と共に暮らしてきた人々は、土地を追われ、自然は収奪され破壊される…。こうした新自由主義のサイクルに対し、彼らは主張します。
 「我々は、皆で新たな力を構築することを目指している。それは、民衆の力、下からの力であり、家族や地域の人々が参加する場所である。それは、自主管理と自律性に基づく、オルタナティブな政治をつくるだろう。」

ラテンアメリカに課された水道事業の民営化

特に90年代初頭から、世界銀行やIMF(国際通貨基金)が、構造調整プログラムにおけるコンディショナリティ(融資を与える条件として、当該国に実行を求める経済政策)として、ラテンアメリカ各国に課してきた水道事業の民営化。アルゼンチンもその例に漏れず、89年からのメネム政権によって、民営化が実施されました。
 それは、「水は有限資源であり、貴重な経済価値を有しているため、政府によるタダ同然の非効率な水の供給は、民営化によって改善されるべきである」、という考えに基づいていました。しかし、民営化に対する批判の高まりを受け、このところ国際機関は「官民パートナーシップ」という言葉で、公的セクターと民間セクターの協調を謳っています。
 
ところが、昨年になって、その「官民パートナーシップ」のモデルケースとされてきたブエノスアイレス、次いでコルドバにおいても、企業とのコンセッション契約(公共事業の運営権を民間企業に委ねる契約)が破棄されるまでになりました。それでは、その背景には、何があったのでしょうか。

公共事業に参入する多国籍資本

アルゼンチンでは、1890年代、民営水道事業の不衛生な衛生管理によって、伝染病が流行したことに批判が高まり、特に水道分野における国家の責任が追求されるようになりました。それを背景に、1912年に国家衛生事業(OSN)という機関が設立されました。そして、その後40年代頃までは、アルゼンチンは、世界的にもレベルの高い公共衛生水準を誇ってきたといわれます。
 しかし、1960年代、様々な分野の国営事業に、外国資本が参入する道が開かれました。70年代から80年代に、国際機関から貸付けられた膨大な融資には、当然、将来的な公共事業の民営化が条件付けられていたわけです。
 
コルドバでは、75年からEPOSという地方公営企業が、水道事業を担っていました。が、まもなく、世界銀行や米州開発銀行といった国際金融機関からの強い圧力と、投資不足による公共サービスの評判の悪さが、民営化への流れを後押しすることになりました。
 そして、民営化に反対していた労働者が排除され、フランス資本のスエズ社を中心とするコンソーシアム会社、アグアス・コルドベッサスによるコンセッション契約が結ばれたのが、97年のことです。スエズ社といえば、同じくフランスのヴィヴェンディ社、イギリスのテームズ・ウォーター社とともに、世界の水市場に君臨する、三大多国籍企業のひとつです。
 
スエズ社は、1ペソも投資せずに、EPOSの設備を引き継いだにもかかわらず、契約に含まれていた州政府への支払いも果たしませんでした。その未払い総額は、4000万ペソ(約16億円)に上っていたといいます。ところが2005年、州知事は、スエズ社の負債を帳消しにし、水道料金の500~700%の値上げを容認する法案を可決させました。
 こうした横暴に対して、住民の間で起こった不払い運動が社会問題にまで発展し、スエズ社側が撤退を表明するに至ったのです。
 
現在、地元のロジオ社が水道事業を引き継いでいますが、特に農村部や貧困地区の、水へのアクセスに関する問題は、いまだ解決されていません。

変革を目指す農民運動

また、ここ15年、巨大アグリビジネスによる、土地所有の一極集中が加速度的に進んでいます。土地所有者のうち、農村部の生産者家族の82%が、全体の13%の土地を耕している一方で、たった4%の農畜開発業者が、65%の土地を所有しているのです。
 90年代の新自由主義政策は、約20万家族を都市の貧困層に追いやって、広大な土地を外国資本に提供しました。現在、世界的な需要の高まりを受けて拡大する大豆産業は、農村の人々の最大の脅威です。
 
こうして、水へのアクセスも奪われ、土地からの立ち退きを迫られた農村の人々は、日々の話し合いから、自分たちの組織をつくり始めました。そのひとつが、先の集会にも参加していた、「コルドバ農民運動」(MCC)です。
 MCCは、全体で約1,000家族から成る7つの組織の集合体です。全国レベルの組織である、「全国インディヘナ農民運動」(MNCI)の構成団体でもあります。
 
彼らの目的は、土地や水の公平な分配だけではありません。それは、貧困・失業・暴力・差別、また教育・交通・住居の欠如など、あらゆる問題を抱えた社会を変えていくことです。 
 そのひとつの手段として、不公平な交易関係を変革することを目指して、2002年に設立されたのが、「公正交易ネットワーク」(RCJ)です。このネットワークを通じ、農村で生産された蜂蜜やジャムなどが、都市部で売られるようになりました。
 
そこには、彼らの思想がこう書かれています。
 「土地と山は、私たちのアイデンティティの一部です。土地なしでは、私たちは私たちではないのです。だから、私たちの作る物には、山の恵みだけではなく、私たちの労働、歴史、私たちが何であるかということ、目指しているもの、獲得してきたもの、そして私たちの抵抗が込められているのです。」

いま何を持っているのかではなく、未来に何を残すか

また、MCCのメンバーである、大学生のダニエラとロナトにも、話を聞くことができました。
 「代々住んできた土地に、突然書類をもった業者が現れて、ここは自分たちの土地だから出て行けと言う。私たちは、正式な書類なんて持っていない。ただ、ずっと昔からここにいるという事実だけ。」
 暴力的な手段に出る業者もあり、農民側に逮捕者も出たそうです。それでも、裁判で農民側が勝つ確率が高いのは、組織化された運動の力だと言います。
 「この都市消費社会と、閉鎖的な農村社会のなかで、いちばん難しいのは、そしていちばん大切なのは、政治的感性を覚ますことだよ」
と、ロナトは教えてくれました。
 
また、ダニエラは、将来的に農村での教育レベルを向上させるため、そして、既存の教育システムに代わるオルタナティブ教育として、農民学校や農民大学をつくることを考えているそうです。
 「政治的感性は、それぞれの人の中から生まれてくる。それが、未来をつくっていく。いま僕たちが何を持っているのかではなく、未来に何を残すかなんだ。」
と彼は言います。
 こうした政治的感性が、農村という伝統的な社会に変革の種をまき、そして、広がっていくのだと感じました。
 
*初出は、『人民新聞』2007.7.5(第1283号)。ただし、ウェブでの再録にあたって、『人民新聞』発表時より、一部を改訂・変更しています。