── 僕が驚かされるのは、素人というのはここまでできるものなのか、ということです。

 

ヨーロッパ憲法条約とネグリ

佐々木 90年代末から現在にかけて、ラテンアメリカでは次々といわゆる左派政権が誕生し、マスコミでは「左傾化するラテンアメリカ」などと呼ばれるような、大きな政治変動を迎えています。
 そういったなかで、廣瀬さんは『闘争の最小回路』★1において、マスコミでは伝わってこない、民衆独自の運動・闘争のあり方を報告されています。今日は、『闘争の最小回路』を中心にしながら、その後のラテンアメリカの状況についても詳しくお話をお伺いしたいと思います。
 
まずはじめに、『闘争の最小回路』は、どういった読者を想定して書かれた本なのかということを教えてもらえますか。
 
廣 瀬 日本語環境でものを考えている人に向けて書きました。この本は、スペイン語やフランス語で出すような本では、まったくありません。
 
佐々木 それは、どういった意味ですか。
 
廣 瀬 たとえばスペイン語ができる人だったら、ここに書いてあることは、知ろうという意志さえあれば、インターネット上の情報などを通じてだいたいわかる。フランス語や英語については微妙だけど、どちらにしても日本向けです。
 『闘争の最小回路』には、たとえば、ヨーロッパ憲法条約★2とこれに賛成するネグリ★3の呼びかけについて書いた「現実主義的革命家とマルチチュード」という文章が入っています。あれは、まさに日本向けのものです。僕も、なぜネグリがヨーロッパ憲法条約を積極的に受け止め賛成したのか、その意図をよく理解しているつもりです。この議論について、市田良彦★4さんたちが言っていることも、正しいと思っています。ネグリが言うように、ヨーロッパ憲法条約に反対するのは反動的で、僕もその理屈は分かる。
 
だけど、日本語環境のなかで、この議論を紹介する際に、賛成するということの方に重きを置いて話すことに、果たして意味があるのかどうか。ネグリの賛成というのは、反対ということが世の中の主流になるなかで、初めて機能するものだと思うんです。日本語環境のなかで生きている人々の多くは、なぜフランス人やオランダ人たちが、ヨーロッパ憲法条約に反対したのか、おそらく理解していないと思います。

社民主義はネオリベを補完する

佐々木 ネオリベと社民主義が、表裏一体だという点も指摘されていますが、自民党と民主党の大連立騒動★5をみていると、民主党が参議院で多数を取った後も、日本において、社民主義や第三の道といったものがあらわれるべくもなく、単に大政翼賛的な政治システムが出来つつあるのではないか、とさえ見えてしまうような状況が現れているわけです。
 そういった状況のなかで、この本のメッセージ性は、どこにあるとお考えでしょうか。
 
廣 瀬 この本は、安倍晋三が総理大臣を辞職★6する前に書かれたものだから、まだネオリベと社民主義が表裏一体だと言うことに意味があった。でも、安倍が辞めてしまったいまとなっては、日本語環境のなかで、暮らしている人々であっても、もう誰でも知っていることですね。
 
佐々木 そこまで共有されたことではないと思いますが。
 
廣 瀬 フランスの社会学者ジャック・ドンズロは、社民主義というものが、そもそもネオリベ的なものを前提にして考えられたものだと論じています。ネオリベと社民主義は、二つ同時にやらなければいけないことで、純然たるネオリベなんかを導入したら大変なことになる。
 安倍の場合は、小泉による純然たるネオリベを、社民主義ではなく、一種のナショナリズムみたいなもので補完するために登場してきたわけです。教育基本法改正などをやってみたけど、実践的にはなにひとつ成功しなかった。安倍の失脚が、僕たちに教えてくれているのは、イデオロギーでネオリベを補完することなんかできないよ、ということです。我慢させられている人には、具体的に金を渡すしかないということです。
 
これこそ、ブレアなどが第三の道と呼んでいたもので、社会主義インターナショナル★7に加盟している左派党の党首が、それぞれの国でやろうとしていることです。第三の道は、別にサッチャリズムを否定したわけではなくて、それを社民主義で補完するというのが基本的な考え方でしょう。ドイツでもSPDがやろうとしてきたことは、そういうことです。

ラテンアメリカとの出会い

佐々木 廣瀬さんとラテンアメリカ、とりわけアルゼンチンの社会運動との交流の経緯を教えていただけますか?
 
廣 瀬 僕は、佐々木さんのように大学生時代から運動をやっていたわけではありません。だから、遅ればせながらということになるんだけど、僕が運動に携わるようになったのは、やっぱりフランスに留学したことがきっかけです。
 フランスには、1998年10月くらいから2004年3月くらいまでいたんですが、フランスでは運動が一般に広く浸透していて、そういう状況に触発を受けました。悪口でもよく言われるんだけど、フランスにいるほうが、日本にいるよりもずっと左翼をやり易い。同じようなことを、西山雄二★8さんも言っていましたが、僕もまったく同じ意見で、フランスに行って触発を受けました。
 
ラテンアメリカに関して言うと、僕はフランス滞在中に、パオロ・ヴィルノ★9の『マルチチュードの文法』(月曜社、2004年)を日本語に翻訳することになったんです。それで、日本語版に付録できるようないい素材は何かないかと探しているときに、アルゼンチンのコレクティボ・シトゥアシオネス(Colectivo Situaciones)★10の連中によるインタビューを見つけました★11
 それはとても気が利いたものだったので、掲載できるかどうか、彼らにコンタクトを取ったんです。そのときに同時にまた、2001年のアルゼンチンの民衆蜂起★12に、とても興味があったので、ヴィルノの話とは別にも、コレクティボ・シトゥアシオネスと接触を続けるようになった。
 
コレクティボ・シトゥアシオネスは、アルゼンチンの民衆蜂起を、アルゼンチン国外にいる人にもよく分かるように説明してくれた初めての人たちで、いまでもイタリアやスペインでは、アルゼンチンのことについては、まず彼らに話を聞こうという感じがあります。
 たとえば、ネグリがアルゼンチンのことを考えるときに、彼がベースにしているのは、間違いなくコレクティボ・シトゥアシオネスによる分析です。
 
佐々木 廣瀬さんとは共著を準備されているわけですが★13、コレクティボ・シトゥアシオネスとは、どういう方たちなのでしょうか?
 
廣 瀬 直接、彼らに聞いた方がいいと思うけど、彼らは‘investigación militante’(戦闘的調査)のグループだと、自分たちを規定しています。デヴィッド・グレーバー★14も参加している英語の論集★15でも、その言葉がタイトルに使われていて、みんなのなかにだんだんその言葉が浸透しているようです。
 要するに、社会学じゃないやり方で、運動について考える。記述と実践を分けない。そういうことをやっている人たちじゃないかな。

パリのメキシコ人寮

佐々木 『マルチチュードの文法』を翻訳する過程で、ラテンアメリカの運動と関わるようになっていったというわけですね。
 
廣 瀬 そうですね。もうひとつ重要なのは、フランスでメキシコ人寮に入ったということです。パリには、公園のような大きな敷地のなかに40棟くらい学生寮が立ち並んでいる「国際大学都市」というところがあるのですが、そのひとつひとつの学生寮にそれぞれ国の名前がついていて、実際その半分くらいは、それぞれの国によって直接運営されている。
 日本館やアメリカ館など、いろいろあるのですが、僕が入ったのはメキシコ館だったんです。
 
佐々木 それは、他の国の人でも入れるんですか?
 
廣 瀬 基本的に、日本人学生の多くは、日本館に入らなければいけない。日本館の日本人の割合は、7割から8割くらいだと思います。だけど、全員が日本人だとつまらないから、外国人にも住んでもらう。どの国の館でも同じやり方で、僕はたまたま、メキシコ館に入ることになった。
 昼間賢★16君なんかは、「ひ」ということでリスト上では僕の後か前だったんだけど、彼はギリシャ館に入った。僕よりも前から留学していた王寺賢太★17君なんかは、アルゼンチン館にいました。
 
佐々木 メキシコ館に入ったのは、偶然なんですね。
 
廣 瀬 そうです。僕が希望して、メキシコ館に行ったわけじゃないんです。
 そして、僕が入寮して1年後の1999年に、日本で言うと東大と日大を足して半分に割ったような、誰でも入れるけど優秀な人も多い、メキシコ国立自治大学(UNAM)★18で、学費値上げに反対する大きなストライキが起きた。
 1年くらい続いたんですが、僕はメキシコ館にいたということもあって、とても興味を引かれました。ただ、メキシコ館のみんなはブルジョアの息子・娘で、そういったことに関心がありませんでしたが。
 
佐々木 メキシコには、学費が年間300万円だとか、日本よりも学費が高い私立大学がたくさんありますが、それと比較してUNAMは学費がめちゃくちゃ安い。敷地もとても広くて、なかにバスなんかも走っている。そこをロックアウトしました。だから、ひとつの街全体を封鎖したような感じでした。京都にある大学を全部合わせても、あんなに広くない。
 ただ、学費値上げなんて本当に微々たるもので、無料同然のものがちょっと上がったというだけでした。そういう意味において、この闘争は「新自由主義的なもの」に対する、象徴的な戦いであったといってもいいですね。
 
廣 瀬 メキシコ館の友人で、その闘争に参加するために帰国したのは、僕が知る限り1人だけでした。残りは、みんな馬鹿にしていた。
 だけど、僕にはただならぬ関心があって、そのことを毎日のように報道していた「ホルナーダ」なんかを読んでいると、まわりのメキシコ人からは「そんなものを読んでるんじゃない。こっちの新聞を読みなさい」と、メキシコの産経新聞みたいなのを渡されたりした。
 
佐々木 「ホルナーダ」は1969年に創刊された、日本では該当するものがないようなまっとうな左派系日刊紙ですね。
 同時に、サパティスタ★19に対する関心も持っていたわけですか?
 
廣 瀬 そうですね。2001年にビセンテ・フォックスが政権を取ったときに★20、「大地の色の行進」があって★21、サパティスタが他の人たちとともにチアパスからメキシコ市まで行進して、最終的には、サパティスタのなかの一人のコマンダンテの女性が、メキシコの議会で演説するという出来事が起こりました。
 これも僕がメキシコ館にいたときに起こったことで、そういう意味では、いい時期にメキシコ館にいたと言えるかもしれませんね。

9・11と‘general intellect’

佐々木 そういった出会いが、『闘争の最小回路』に繋がっていくわけですね。
 同時に、2001年9月11日には、ニューヨーク同時多発テロが起き、その後アメリカとその同盟国軍によるアフガン・イラク侵攻が始まったわけですが、廣瀬さんは、9・11についてはどうお考えでしたか。
 
廣 瀬 ベルギーに住んでいる友人、フアン=ドミンゴ・サンチェス=エストップが言っていたことなのですが、結局のところ「両方エリートでしょ」と。これは『闘争の最小回路』のなかにも少し書いたんだけど、「エリート同士が戦っているだけで、民衆が戦っているわけではないでしょ」というのが、ひとつの見方としてあります。
 
もうひとつの見方としては、これはこれから僕が展開していこうと思っている話なんだけど、やっぱりあの9・11の事件はすごいと。あれをやったのは、エリートとはいえ素人ですよね。当然、アメリカの国防というのは、プロフェッショナルなはずじゃない? 世界で一番プロフェッショナルなはずの国防集団が、ああいう素人にやられる。少なくとも2発も、飛行機を命中させる。
 実際、彼らの素人ぶりは本当にすごい。彼らは、飛行機の操縦を習いに行ったときに、「僕らは、離着陸には興味がないですから」と言ったらしい(笑)。武器についても、「武器」と呼ぶには値しないような日常的なものしか持ってないし、連絡手段も携帯電話やEメールです。
 
そこで僕が驚かされるのは、素人というのはここまでできるものなのか、ということです。じゃあいったい、国防のプロとはなんなのだろうかと。やっぱり、普通人の力というものには、すごいものがある。
 このような普通人の力は、ネグリやヴィルノが言っている、‘general intellect’(一般知性)★22と関係あるんじゃないかなという気がする。僕にとっての9・11とは、‘general intellect’のすごさを見せつけた出来事なんです。
 
佐々木 それが、『闘争の最小回路』でいわれている「力のクリスタル」というような概念に目を向けるきっかけとなったというわけですね。
 
廣 瀬 「専門家とはいったい何なのか」ということです。佐々木さんだって、もともと数学を勉強していたわけでしょう? 佐々木さんと同様に、もともと数学を勉強していた崎山政毅★23さんだって、岩波書店から『資本』という本を出したりしているけど★24、いったい何の専門家なのか(笑)。
 これは僕自身についても同じで、別にラテンアメリカの専門家でなくても、このくらいの本は書けるということです。「学部時代から、ラテンアメリカについて勉強してました」みたいな感じじゃなくて、まったく大丈夫なわけです。